「ムサビの公募推薦にぴったりのカリキュラムでした」
油画科 昼間部 → 武蔵野美術大学造形学部油絵学科合格−公募推薦
牛之濱 佳奈子(麹町学園女子高等学校出身)
アトリエ新松戸に入学したのはいつ頃ですか?

100号ゼミ制作中
高校2年生の夏ごろです。小さいころから絵を描くこと、物をつくることが好きだったのですが、学校の美術だけでは満足出来なくて「もっとやりたい」という気持ちが高まってきました。で、自分で探してアトリエ新松戸をみつけました。
見学にいった時、基礎科の先生から「ここの予備校は受験だけでなく将来役に立つことを教えている」と言われたのがとっても印象的で、すぐに入学を決めました。母親も同じ感じを持ったそうです。
大学入試を意識し始めたのはいつごろですか?
高校3年生の春ごろです。それまでは受験のためにというよりも、作品をつくるという点にだけ集中して通っていたと思います。
予備校に通っていて「楽しかったこと」「つらかったこと」を教えて下さい。

ムサビに提出したデッサン
楽しかったことは、同じ目標を持った仲間に出会えたこと。
つらかったのは、物を写せたり、色が合うなど技術的に上達するのはうれしかったけど、次第にそればかり考えるようになって、楽しいはずの絵を描くということが単なる作業になってきたと感じたことです。
受験勉強をしている中で「○○によって私は変わった」というようなターニングポイントはありましたか?
毎日周りの頑張る姿や絵についての考えを聞いたり先生と話しをしていた中で、ある日「最後に判断するのは自分」という言葉がすとんと腑に落ちて「そうだな〜。自分で考えて、納得して、行動しよう」と思うようになったときです。
武蔵野美術大学の公募推薦を受けようと思ったのはいつごろですか?
夏頃に油画の先生から「こんな入試があるよ」と紹介されて「やってみようかな」と思いました。
提出ファイルや持参作品の制作は10月初めから始めたのですが、中旬には行き詰まって投げ出しそうになりましたが、先生に「最後までやろうよ」と説得されどうにか受験するところまでたどり着いたというのが本当のところです。
最後の最後まで自信がなかったのですが、ファイルが少しずつ形になっていくうちに少しですが、手応えも感じました。
提出ファイルも持参作品も一貫して風景画ですが、こういった作品を作るきっかけは何ですか?

100号ゼミ制作作品
初めて本格的に風景画を描いたのは、5月の風景画ゼミでした。それまで、予備校での授業はアトリエの中で描く課題ばかりだったので「自分の足で歩き」「自分でみつけ」「自分で切り取る」風景画はとても新鮮でした。佐伯祐三に対するあこがれもありました。
ファイルづくりの過程で、気づいたことなどはありますか?
今から考えると、そのころの私にとって絵を描くということは、自分ばっかりの内向きな作業でした。なので、ファイルも最初は独りよがりのものでした。
しかし、色々と指摘されたことを見直していく中で、第3者の目を意識して「どうやったら伝わるか」という外向きの作業が自分なりに出きるようになったと思います。それをキッカケに、自分の絵を客観的に見ることができるようになりました。
面接にはどんな作品を持っていきましたか?
F100号とF30号の油彩画と木炭紙大のデッサンです。全部、風景画でした。F100号の作品は1学期の100号ゼミで制作した作品をさらに描き込んだものです。
100号ゼミを受けた時は題材や手法その他諸々をすべて自分で決めていいといわれ、かえって「大変だなー」と思いましたが、あのゼミのおかげで「自分の作品をつくる」という原点に立ち返れたのだと思います。基礎科のときに先の事など考えず、純粋に作品づくりに打ち込んだ経験もここで生きたのだと思います。
試験会場はどんな様子でしたか?どんなことを考えながら試験に臨みましたか?
今年から始まった入試方法だったから、本当にどうなるかわかりませんでした。会場では、受験生たちが持ってきた作品が並んでいたのですが、いわゆる予備校の参作みたいなものが多くて、私みたいな作品の人はあまりいなくて緊張しましたが、今の自分の力を出し切ったから、これでダメならしょうがないと思いました。面接ではとても突っ込んだ内容を聞かれたこともあり、手応えを感じました。
大学ではどんな事を学びたいですか?また、将来の夢を聞かせて下さい。
自分の感情の揺れなどを表現出来る手段として油彩、版画、彫刻などできる事には何でも取り組みたいと思います。そして将来は、作家になりたいです。
最後に後輩へのメッセージを一言